母、ときどき科学博士。オックスフォードより

イギリス人の夫と半分イギリス人の5歳に振り回される楽しい毎日。ときどき科学博士。

祈り

 
妊娠、出産、その後の子育てを通して今まで生きて経験したきたこと、感じてきたこととはまったく異なること、超越したことに遭遇する日々。
 
誤解しないでほしいのは「妊娠、出産した人のほうが人として経験豊か、よりみのりのある人生だ」ということでは決してない。ただ、妊娠中の9ヶ月、出産前後、そして、子供の成長を見守っていく毎日の中で、これまでの自分だったら想像をできないような感情に抱くことがある、ということだ。(そして、その心の揺れを人は経験というのだろうと思う。)
 
もう、だいぶ前のことになってしまったが、妊娠中、そして出産直後のことを書きたいと思う。
 
そこそこ高齢出産だったものの、基本的には快適な妊婦生活で、臨月に入っても普通にプールで泳ぐぐらい元気(だと思っていた)だった。仕事も予定日の3週間前まで様子を見ながら、フルで働いていた。
 
ところが、予定日の2週間ほど前の38週ごろに出血した。どうしてもじっとしていられないたちで、産休に入った37週からも家の大掃除をしたり、大きなおなかで庭の手入れをしようとしたり、とにかく今考えると無理がたたったのだろうと思う。
 
いつ産まれてもおかしくないときだったので、「?これはもしや、おしるしなるもの?」と思ったものの、どうも聞いていた「おしるし」的なものとは異なる感じの出血だったので、病院に連絡すると、これまでの既往症(今後、記事にする予定)もあるため、病院に来るように言われた。
 
診察の結果、まだ産まれる気配はない感じなのとおなかのあかちゃんはいたって元気な様子なため、あわてて促進剤で出産させることもないだろうとの診断結果。一応、様子見で入院してほしいと言われた。
日本ではどうかわからないが、イギリスはとにかく「自然にまかせるのが第一」的なスタンスなので、38週で様子見入院となった。正直、こちらとしてはもうおなかも大きくて大変だし、せっかく病院にいるし、いっそ産んでしまいたい、的な状態だった。
 
というわけで、これといって痛いところもまったくないのに病院でごろごろすることになった。
つい数日前まではフルタイムで働いていて、産休にはいっても家で休みなく動いていた私にとってベッドの上で本をよんだり、YOUTUBEで日本のテレビをみたり、病院で毎食メニューは選べ(決しておいしくはないけれど)、3時には紅茶とビスケットまで出てくる生活は驚くほど快適で、
「あ、今まで無理してたんだな・・・」と若干反省し、おとなしくすごしていた。
 
病院では4人部屋で、そこは産科であったが「赤ちゃんのまだ生まれていない妊婦」専用の部屋だった。
相部屋で向かえのベッドにいた女性は、もう10日ほど入院しているらしく病棟の有名人だった。彼女から、「今、(妊娠)何週?おなかの出方が理想的だね!」と話かけられた。
一般的なイギリス人に比べるとかなりスリムなこと、一人目の男の子であるため、私のおなかはスイカを飲み込んだような出っ張り方で後ろからみるとまったく普通なのに、横からみると今にも生まれそうな状態だったため、いろいろな人に「すごいお手本のようなおなか」だとよく言われていた。
 
彼女は、いつも朝からシャワーを浴びてお化粧をしっかりして、入院中なのにちゃんとパジャマから普段着に着替えて、どんなスタッフともものすごく元気に気持ちよく話している感じから何で入院してるのか想像もできなかった。
 
ところが、少しずつ話していくようになったり、看護婦や医者との会話のやりとりから彼女はまだ妊娠27週であること、彼女のへその緒になにか異常があるようで赤ちゃんにちゃんと酸素や栄養が行き届かないため切迫早産を防ぐために25週から入院しているとのこと。
 
イギリスでは妊娠24週まで中絶が可能だ。そして超未熟児は法律はないが親の意向によって23-25週の胎児の蘇生処置は病院にゆだねられている。つまり「人間としてのぎりぎりのラインが24週前後」だ。そして、一般的に現代の医療では28週を過ぎた(普通に成長した)胎児なら十分、早産でも成長が可能と言われている。ただし、彼女の赤ちゃんは、27週の時点でまだ700gを超えた程度。私の場合はそのころには、1.1kgを超えていた。
 
それでも、彼女は27週を迎えた朝、ものすごくうれしそうに「あと1週間は(産まれないように)粘りたい。」と言っていた。28週までおなかにいると、たとえ成長が悪くて小さくても、脳や臓器や体の発達は進んで生まれた後も生き残れる可能性、長期的な障害が残らない可能性が大きくなるからだそうだ。
 
聞けば聞くほど、知れば知るほど深刻な状況で彼女の気持ちを思うとこちらの胸がつぶれそうになった。
 
そして、おなかの赤ちゃんの心拍数が安定しなかったり、今にも産まれてしまいそうで強い薬を打たれて何時間もカーテンを閉めて寝込んだ後ですら、どんなときでもポジティブで元気に振舞う彼女の強さに、私は入院中毎日毎日、涙をこらえた。私なんて、もう38週ではっきりっていつ産まれてきても大丈夫でだらだらさせてもらってるだけなのに。
 
結局私は数日の安静で退院。普通に産気づくのを家で待つことになった。
連絡先なども交換せず、けれどその後もぜったい元気でいてほしいと思っていた。
 
それから約3週間後、私は元気な男の子を出産し病院に再びいた。
退院で病院を去るとき、なんと、例の彼女が駐車場に旦那さんといるところを見かけた。
 
彼女はもう妊娠していないようだった。
 
たくさんの荷物を持って旦那さんと車に乗るところで、ほんとうは声をかけたかったがどうしでもできなかった。
 
私は元気な男の子を出産した。予想以上に大きく育っていた息子を連れて退院する瞬間だった。
 
彼女の状況がまったく想像できなかったからだ。
 
どうか、イエスさんでもなんでもいいから神様らしきものがいるならば、彼女があの後もできるだけ長く妊娠していて、出産して(彼女も男の子のはず)超未熟児の赤ちゃんがまだ病院に入院していて、そのお見舞いに旦那さんと来ているところであってほしいと、心のそこから祈った。
 
心の底から、こんなに強く誰かのために祈ったことなんてその時までなかった。
 
数年たった今、私は彼女の顔をもうしっかりと思い出せない。
街ですれ違っても、小学校や児童館ですれ違っても、もう気が付けないだろうと思う。
 
でも、今でもあの時の気持ちと変わらない。
 
どうか、彼女の赤ちゃんも元気に笑顔で毎日を過ごしていてほしいと、祈っています。